東京地方裁判所 昭和52年(ワ)12143号 判決
原告
株式会社竹中工務店
右代表者
竹中統一
右訴訟代理人支配者
西山礼太郎
原告
蒲原信一郎
右原告両名訴訟代理人
我妻源二郎
海谷利宏
馬場康守
神洋明
江口正夫
被告
大和建設株式会社
右代表者
原田鑛一
右訴訟代理人支配人
池田紘
被告
学校法人正則学院
右代表者理事
宮田優
右訴訟代理人
小村義久
主文
一 被告らは、各自、原告株式会社竹中工務店に対し、金二一五九万七四〇〇円及び内金一九五九万円七四〇〇円に対する昭和五一年五月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告蒲原信一郎に対し、金一一五〇万円及び内金一〇五〇万円に対する同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その三を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告株式会社竹中工務店に対し、金二七〇三万〇八〇〇円及び内金二四八三万〇八〇〇円に対する昭和五一年五月二五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告蒲原信一郎に対し、金二八二〇万円及び内金二六〇〇万円に対する同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁(被告両名)
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
昭和五一年五月二五日午前九時ころ、別紙目録一記載の土地(以下「本件土地」という)の東側傾斜面に同目録二記載の土地と境界を接して築造されていた三段の擁壁のうち、上段及び中段のコンクリート製擁壁(以下「本件擁壁」という)が、長さ約三三メートルにわたつて、同擁壁が支えていた雨水及び土砂等と共に、同目録二記載の土地側に崩れ落ち(以下「本件事故」という)、よつて、同土地上の原告株式会社竹中工務店(以下「原告竹中」という)所有の初芝荘と称する同目録三記載の建物(以下同建物を「初芝荘」と、同敷地を「初芝荘敷地」という)の一部、床面積62.4平方メートルを倒壊させ、初芝荘の倒壊部分内の床の間に飾られていた原告蒲原信一郎(以下「原告蒲原」という)所有の掛軸一幅及び花瓶一個を破損させた。
2 事故の原因
本件事故は、本件土地上の本件擁壁の至近距離に建築されていた体育館が解体され、更に、地下の基礎が掘り起こされて埋戻しがなされたため、右体育館跡地部分の地盤がゆるくなり、ラフ(掘り返した跡地の素土)で窪地状態になつていたところへ、体育館解体後の昭和五一年五月一四日から同月二四日にかけて、合計降雨量101.5ミリメートル、本件土地全体に対する総降雨量二九二トンの雨が降り、右多量の雨水が右体育館跡地に流れ込んだうえ、同月二五日午前三時から同九時までに降雨量四一ミリメートル、本件土地全体に対する総降雨量一一八トンの雨が降り、それが更に体育館跡地に流れ込んだため、地下深く浸透しきれなかつた多量の雨水が地表一帯に滞水し、それが、飽和状態まで雨水を含み極度にゆるんだ本件擁壁に接続した地表部の土砂と共に、はけ口を求めて押し出し、本件擁壁の崩落を惹き起こしたものである。
3 被告大和建設株式会社の責任
(一) 被告大和建設株式会社(以下「被告大和」という)は、被告学校法人正則学院(以下「被告正則」という)から、本件土地上に建築されていた体育館の解体及び地ならし工事(以下「本件工事」という)を請け負い、昭和五一年四月中旬ころ解体工事に着手し、同年五月一四日に本件工事を終了して、被告正則に対し、本件土地を更地の状態で引き渡した。
(二) 土木建築工事を請け負うにあたり、同工事について特定の目的を達成するためにいかなる工法を用いるか、また、それに付随していかなる処置を要するかは、専門的見地から請負人がイニシアティブをとつて決定すべき事柄であり、請負契約締結の際は、まず、請負人が見積書を作成し、最も効率的な工法や周辺環境に及ぼす危険の防止措置等の付帯工事の明細を定め、これを発注者に提出してその承諾を得る義務があり、請負工事の中途においても、近接工作物の保護又は災害防止の必要性を発見したときは、これを発注者に告げて右付帯工事をなす義務がある。
更に、被告大和と被告正則との間には、(一)の請負契約締結当時、被告大和の副社長である訴外五十嵐健(以下「五十嵐」という)が被告正則の理事であつたという密接な人的関係があり、被告大和は、右関係を利用して、被告正則の建築工事を昭和四四、五年ころから継続的に行つてきたという継続的請負関係が存したから、被告大和には、請負工事に起因する災害の防止に関し重大な注意義務があつた。
(三) 本件土地は、東側の初芝荘敷地と約8.6メートルの高低差があり、その東側傾斜面の初芝荘敷地と接する場所には三段の擁壁が長さ約三三メートルにわたつて築かれていた。右三段の擁壁のうち、上段の擁壁は、昭和三九年ころ、被告正則が本件土地上に体育館を新築するにあたり、崖を補強するために訴外株式会社熊谷組(以下「熊谷組」という)に請け負わせて築いた高さ一ないし2.5メートルのコンクリート製の擁壁であるが、中段の擁壁は、同三〇年ころ、東京都により築かれたコンクリート製擁壁、下段の擁壁は、そのころ建設省により築かれたと言われる高さ約四メートルの間知石の擁壁であるところ、これら三段の擁壁は、本件土地上に体育館があり、その体育館に雨水排水設備が備わつていたことから風雨に耐えることができたものであつた。
一方、被告大和が請け負つた本件工事の工期は同五一年三月末から同年五月一四日までで降雨量の多い時期にあたり、本件工事の内容はコンクリート基礎の掘出し、埋戻しを含む体育館全体の除去及び敷地である本件土地全体の整地であつたが、体育館は鉄筋コンクリート造モルタル葺三階建延床面積1742.14平方メートルという通常の家屋に比して厖大な建物であり、そのコンクリート基礎の大きさも四角形の底面の一辺が約1.5メートル、高さが約二メートルであつた。右コンクリート基礎は初芝荘敷地との境界線側には境界線に添つて約一一個も存在していたが、一個の基礎を掘り出すためには、一辺約2.3メートルの四角形で、深さ約二メートルの穴を掘る必要があつた。
(四) 被告大和の代表取締役であつた本件工事の指揮監督者又は被用者であつた本件工事現場の主任らは、本件工事の請負い又は施工に際し、(三)記載の各事実を知つていたのであるから、右のような土地の高低差、擁壁の状態、本件工事の工期及び内容等からすれば、体育館解体後の本件土地に雨水が浸透し、擁壁の崩落が起こる危険があることを予見しえた。
(五) 従つて、右指揮監督者又は現場主任らは、本件工事の請負い又は施工に際し、体育館解体後の本件土地に大雨が降つた場合でも、隣接する低地の初芝荘敷地側に土砂や雨水が流出したり、擁壁の崩落などが発生したりすることのないように、被告正則に対し排水溝、地表被覆等の排水施設の設置を提案しその承諾を得るべき義務又は請負人側の判断において右排水施設を設置すべき義務があつた。
(六) しかるに、右指揮監督者及び現場主任らは、これを怠り、被告正則に対し排水施設の設置を提案することもなく、何らの排水施設も設置しなかつた。
(七) 本件事故は、被告大和の本件工事の指揮監督者又は本件工事現場主任らの右過失により、前項記載の原因で生じたものであるから、被告大和は、株式会社又は使用者として、原告らに対し、原告らが本件事故により被つた後記損害を賠償すべき責任がある。
4 被告正則の責任
(一) 被告正則は、被告大和に対し、本件工事を発注したが、前項(三)記載の各事実が存し、被告正則の理事は、右発注に際し、右各事実を知つていたのであるから、体育館解体後の本件土地に雨水が浸透し、擁壁の崩落が起こる危険があることを予見しえた。
従つて、右理事は、本件工事の発注に際し、体育館解体後の本件土地に大雨が降つた場合でも擁壁の崩落などの危険が発生することのないように、被告大和に対し、解体跡地の整地につき適当な排水処理施設の設置を求めるなどの適切な指示を与えるとともに、右危険の発生を防止するための措置に関し説明を聴取し、被告大和が具体的に採ろうとしている措置が危険防止に足りるものであると通常人として見極めをつけたうえで注文すべき義務があつた。
しかるに、右理事は、これを怠り、本件工事の早期終了のみを優先させて、被告大和に対し適当な排水処理施設の設置を求めるなどの適切な指示を与えず、被告大和の危険防止措置が十分なものであるとの見極めもつけずに発注した。
このため、被告大和は本件土地につき適切な排水施設を設置せず、2項記載の原因で本件事故が起きたのであるから、本件事故は、被告正則の理事の右過失により生じたものである。
(二) 本件擁壁及び地中のコンクリート基礎の掘出し、埋戻し、整地等の人工的作業を施された本件土地は、一体として土地の工作物又はこれに準ずるものであつた。
右擁壁及び土地については、前項(三)記載の土地の高低差、擁壁の状態、本件工事の工期及び内容等によれば、体育館解体後は降雨の際、本件土地上に多量の滞水が生じ、それが周辺の土砂に強大な圧力を加え、その結果、本件擁壁が崩落する危険があつたから、本件工事に伴い、本件擁壁に強固な補強をするか又は本件土地に排水施設を設置する等の危険防止措置が必要であつたにもかかわらず、右いずれの措置も施されていなかつた。
従つて、本件擁壁及び本件土地には保存上の瑕疵があり、この瑕疵により、2項記載の原因で本件事故が生じた。
被告正則は、本件事故発生当時、本件擁壁及び本件土地を占有しており、更に、訴外株式会社大林組(以下「大林組」という)が右当時本件擁壁及び本件土地を所有していたところ、被告正則は、大林組との間において、昭和五一年八月三一日、所有者としての工作物責任に基づいて大林組が原告らに対して負担する損害賠償債務を免責的に引き受ける旨の契約を締結し、原告らは、同日、右免責的債務引受に同意した。
(三) 従つて、被告正則は、理事の過失につき法人として、又は、本件擁壁及び本件土地の占有者として、仮に占有者としての注意義務に欠けるところがないとしても、所有者の責任の債務引受人として、原告らに対し、原告らが本件事故により被つた後記損害を賠償すべき責任がある。〈中略〉
二 請求原因に対する認否
(被告大和)
1 請求原因1の事実のうち、昭和五一年五月二五日午前九時ころ、本件土地の東側傾斜面に初芝荘敷地と境界を接して築造されていた三段の擁壁のうち本件擁壁が、長さ約三三メートルにわたつて崩れ落ちたこと及び原告竹中所有の初芝荘の一部が倒壊したことは認め、その余は不知。
2 同2の事実は否認する。
体育館跡地は、基礎の掘出し、埋戻しの後整地及び約一週間にわたる重機を使つての突固めがなされたため、跡地部分が特に窪地状態になつていたということはない。一方、原告主張のように昭和五一年五月一四日から同月二四日までの雨量を積算してみても、その間には蒸発現象や適正な浸透活動があり、本件擁壁と反対側(本件土地の西側)の道路側への排水もあつたので、二九二トンもの雨水が体育館跡地に流れ込んだということはありえないし、同月二五日の降雨量は、午前四時ころからの四時間で37.5ミリメートルであり、体育館跡地の面積(体育館の一階の床面積)八五八平方メートルとの積である総降雨量は三二立方メートルにすぎない。従つて、これらの雨水が体育館跡地一帯に集中して滞水していたという事実もない。雨水の多くは、本件擁壁と反対側の道路側へ排水されていた。
更に、本件擁壁は長さ一メートルあたり6.3トン、崩落した部分の全長では227.6トンの自重があり、その重量は内側底部に働く構造であるから、地表部の土砂や滞水がこれを押し出すためには少くとも右自重を超える土圧が加わる必要があるところ、そのような土圧の発生は考えられない。
本件事故の原因は、後記被告大和の主張1記載のとおり本件土地の地下に存した地下壕にある。
3(一) 同3(一)の事実のうち、被告大和が、被告正則から、本件工事を請け負い、同工事が終了して、昭和五一年五月一四日に、被告正則に対し、本件土地を更地の状態で引き渡したことは認め、その余は否認する。
(二) 同3(二)の事実のうち、(一)の請負契約当時、被告大和の副社長である五十嵐が被告正則の理事であつたこと及びその関係で被告正則の工事を被告大和が請け負うようになつたことは認め、その余は否認する。
請負契約の発注者と請負人間においては契約自由の原則が働き、契約の範囲、工事の内容については各当事者が任意にこれを定め得るのであるから、周辺環境に及ぼす危険の防止措置の一つとして排水施設を設置すべき場合があつたとしても、右工事を施すか否か、施すとすれば誰に発注するかは、挙げて発注者の決すべき事項である。
更に、監理技師が選任されているときは、発注者を技術的に指導し、発注者の委任によつて請負人を技術的に監督するのが監理技師の役割であるから、安全防災などの基本的事項の検討もすべて監理技師に任されている。
(三) 同3(三)の事実のうち、本件土地と東側の初芝荘敷地との間に高低差があり、本件土地の東側傾斜面の初芝荘敷地と接する場所に三段の擁壁が築かれていたこと右三段の擁壁のうち、上段は被告正則が築いたコンクリート製擁壁、中段は昭和三三年ころ東京都が築いたコンクリート製擁壁、下段は高さ約四メートルの石積の擁壁であること、被告大和が請け負つた本件工事の工期は同五一年三月末から同年五月一四日までであつたこと、本件工事の内容はコンクリート基礎の掘出し、埋戻しを含む体育館全体の除去及び除去部分の整地であつたこと、右コンクリート基礎が初芝荘敷地との境界線側に一列に九個存在していたことは認め、その余は不知。
(四) 同3(四)の事実のうち、被告大和の本件工事の担当者が、本件工事の施工に際し、(三)で認める各事実を知つていたことは認め、その余は否認する。
本件工事の担当者に本件擁壁が崩落する危険の予見可能性がなかつたことについては、後記被告大和の主張2記載のとおりである。
(五) 同3(五)の事実は否認する。
本件工事の担当者に、排水施設設置の義務がなかつたことについては、後記被告大和の主張3記載のとおりである。
(六) 同3(六)の事実は否認する。
本件工事の担当者が通常考えられる排水についての注意を払つたことについては、後記被告大和の主張4記載のとおりである。
(七) 同3(七)のうち、本件事故が原告主張の過失により生じたとの事実は否認し、その余の主張は争う。
右因果関係がないことについては、後記被告大和の主張5記載のとおりである。
4 同5の事実は不知。
(被告正則)
1 請求原因1の事実のうち、昭和五一年五月二五日午前九時ころ、本件土地の東側傾斜面に初芝荘敷地と境界を接して築造されていた三段の擁壁のうち本件擁壁が、長さ約三三メートルにわたつて、同擁壁が支えていた雨水及び土砂等と共に、同土地側に崩れ落ちたこと及び原告竹中所有の初芝荘の一部が倒壊したことは認め、その余は不知。
2 同2の事実は否認する。
本件事故の原因は、後記被告正則の主張1記載のとおり本件土地の地下に存した地下壕にある。
3(一) 同4(一)の事実のうち、被告正則が被告大和に対し本件工事を発注したこと、本件土地の東側の初芝荘敷地と約8.6メートルの高低差があり、その東側傾斜面の初芝荘敷地と接する場所に三段の擁壁が築かれていたこと、右三段の擁壁のうち、上段の擁壁は昭和四〇年に被告正則が本件土地上に体育館を新築するにあたり崖を補強するために熊谷組に請け負わせて築いたコンクリート製の擁壁、中段の擁壁は同三三年に東京都により築かれたコンクリート製擁壁、下段の擁壁は高さ約四メートルの石積の擁壁であること及び被告正則の理事が、右発注に際し、本件土地や擁壁について右の各事実を知つていたことは認め、その余は否認する。
被告大和は、体育館解体後の本件土地の整地につき、雨水が地表に滞留しないように十分な排水の方法を講じていた。
(二) 同4(二)の事実のうち、本件事故発生当時、本件擁壁及び本件土地を、被告正則が占有し、大林組が所有していたことは認め、その余は否認する。
(三) 同4(三)の主張は争う。
4(一) 同5(一)のうち、(1)の各工事の必要性は認め、額は争う。(2)の使用不能となつた備品の種類、数量は不知、額は争う。(3)の額は争う。
(二) 同5(二)のうち、(1)の原告蒲原が初芝荘の住込管理人である事実は認め、その余の事実は不知、額は争う。(2)の額は争う。
三 被告らの主張
(被告大和)
1 本件土地の地下には、初芝荘敷地及びその南隣りにある松永邸敷地から掘られた二本の地下壕が存し、本件土地の東側傾斜面にあいていた右地下壕の入口は、石積の下段擁壁の築造によつて中を空洞にしたままで閉塞されていたところ、右地下壕に滞留した浸透水が、裏込めコンクリートがなく脆弱な下段擁壁の基礎部分を軟弱化させ下段擁壁を崩壊させたため、これに支えられていた本件擁壁も土砂と共に崩れ落ちたものである。
2 被告大和は、本件工事に着手する前に次のような調査を行つており、その調査結果からすれば、本件工事の担当者が、体育館解体後の本件土地に雨水が浸透し、擁壁が崩落する危険があると予見することはできなかつた。
(一) 取り毀すべき体育館の設計図を調査したところ、同体育館の地盤には杭が打ち込まれていないことから、本件土地は地盤としては堅固な地質であると考えられた。
(二) 本件土地の東側傾斜面にある三段の擁壁を視察したところ、外観は整然としていたうえ、上段の擁壁については被告正則が鉄筋コンクリート造により施工したことがわかつていたので安全なものと考えられ、中段の擁壁についても付近住民の話から東京都の施工によることがわかつたので、その構造等は下段の擁壁の強度等も調査のうえ安全性を重視して築かれたものと考えられた。
(三) 初芝荘敷地の北隣りにある樹下邸敷地から本件土地の下に向かつて掘られていた洞穴に入つて調査したところ、洞穴は相当の年月を経ているが堅牢であつたことから、本件土地の地盤は堅固であると考えられた。
(四) 本件土地の西側半分は同土地より低い公道に面し、その公道は北に向つての下り坂であつたため、本件土地内での高低差は、東南から西北に向つて最高六〇センチメートルもあつたので、東寄りから西寄りに自然の傾斜を利用すれば、雨水を十分排水し得ると考えられた。
3 本件土地は、被告正則から大林組に対して更地の状態で引き渡されることになつており、大林組はこの上に建物を建てることを予定していたので、その建築過程で所要の排水施設も設置される予定であつた。
被告大和は、被告正則から、更地の状態での引渡のために体育館解体工事を請け負つたのであつて、排水施設の設置は被告正則から発注されておらず、本件土地全体を管理する権限も義務もなかつた。
従つて、本件工事の担当者には、被告大和が発注されていない排水施設を設置すべき義務はなかつた。
4 被告大和の本件工事の担当者は、体育館のコンクリート製の基礎撤去後の埋戻しにあたつては慎重を期し、三回に分けて五〇センチメートル見当で埋めてはユンボーで突き固めるという方法で行い、その後全体をブルドーザーの自重で均しながら、本件土地の西側の公道の方向へ水勾配をとつた。
本件土地については更地としておく期間が短く、地盤が堅固で、排水を図ることができる自然の傾斜があつたのであるから、西側公道側への自然の傾斜を利用した水勾配という排水措置を講じていれば通常考えられる排水措置としては十分であり、過失はない。
5 本件工事が完了した昭和五一年五月一四日から直ちに排水のための簡易舗装又は排水溝設置等の工事を実施していたとしても、本件事故が発生した同月二五日までには一一日間しかないから、その間の右排水施設設置工事は完了しなかつた。
従つて、排水施設設置工事に着手したとしても本件事故は発生したのであるから、原告主張の過失と本件事故発生との間に因果関係はない。
6 工事上の第三者に対する危険のうち請負人が負担する危険は、通行人への障害、震動による隣家の損傷等の工事の施工と直接関連して発生した事故に限られる。しかも、本件事故は、請け負つた工事が完成し、発注者に引き渡した後に発生した事故であるから、本件事故について被告大和は責任を負わない。
7 被告大和は、本件事故が発生する以前に、本件土地の地下に地下壕が存することを全く知らなかつたし知るすべもなかつたのであるから、右地下壕に起因する事故について被告大和は責任を負わない。
(被告正則)
1 本件土地の地下には、初芝荘敷地からは天井高約二メートルの、松永邸敷地からは天井高約三メートルの、いずれも内部でいくつにも枝分かれした奥行の深い地下壕が掘られており、その入口は丸石積の下段擁壁の築造によつて中を空洞にしたままで閉塞されていたところ、本件土地上に降つて右地下壕に貯留した浸透水と下段擁壁の上部法面(巾五メートル余、長さ三五メートル余)に降り注いだ雨水が下段擁壁によつて押えられていた約一一五五立方メートルの盛土に浸潤してこれを軟弱化したため、右盛土が右地下壕の浸透水の圧力と相侯つて、自然石を積み上げただけで何らの補強工事の施されていない脆弱な下段擁壁を一挙に吹き飛ばし、下段擁壁を構成する自然石とそれによつて押えられていた土砂が初芝荘敷地内になだれこんで初芝荘の一部を倒壊させた。本件擁壁は、下段擁壁とそれによつて押えられていた土砂が初芝荘敷地内になだれこみ空隙ができた結果、そのままストンと落下したものである。
2 初芝荘敷地からの地下壕は、昭和一九、二〇年ころ、初芝荘敷地の元所有者が掘つて所有し、防空壕として使用管理していたものと推測されるから、右地下壕に対する権利及び復元、補強の義務は、入口が閉塞された後といえども、現在の初芝荘敷地の所有者である原告竹中に承継されている。
また、下段擁壁は、同年以降に、初芝荘敷地の元所有者が、高さ4.2メートルにわたつて、地下壕内部を復元、補強することもなく地下壕入口を塞ぐことも含めて、丸石積みで築造したものであるが、その上縁は、初芝荘敷地と本件土地との境界線から北端は二メートル、南端は1.2メートルいずれも初芝荘敷地内にはいつた点を結んだ線上に位置するのであるから、下段擁壁及び下段盛土の相当部分は原告竹中の所有に属する。
従つて、原告竹中が所有し占有管理する下段擁壁及び原告竹中が権利義務を承継する地下壕の欠陥が原因で下段擁壁が崩壊し、初芝荘を倒壊させたのであるから、初芝荘倒壊による損害は原告竹中自ら招来した損害である。
3 被告正則は、昭和三九年に、国から本件土地の払下げを受けるに際し地下壕の存在を知らされておらず、その後も地下壕の存在を探知しうべくもなかつたのであるから、本件土地を管理するについて、通常の土地と異なる特段の注意、施工方法を必要とするという認識をもちえず、右地下壕に起因する本件事故について被告正則は責任を負わない。
第三 証拠〈省略〉
理由
一請求原因1の事実のうち、昭和五一年五月二五日午前九時ころ、本件土地の東側傾斜面に初芝荘敷地と境界を接して築造されていた三段の擁壁のうち、上段及び中段のコンクリート製擁壁(本件擁壁)が、長さ約三三メートルにわたつて、初芝荘敷地側に崩れ落ちたこと及び原告竹中所有の初芝荘の一部が倒壊したことは、当事者間に争いがない。
本件擁壁の崩落が同擁壁を支えていた雨水及び土砂等の崩落と共に起こつたことは、原告と被告正則との間においては争いがなく、被告大和との間においても、昭和五一年五月二五日撮影の本件事故現場の写真であることに争いがない〈証拠〉によればこれを認めることができ、更に、〈証拠〉により同四二年一〇月ころ撮影の床飾花瓶の写真であることが認められる〈証拠〉、同五一年八月一〇日撮影の床飾花瓶の写真であることに争いがない〈証拠〉によれば、初芝荘の倒壊と同時に、同倒壊部分内の床の間に飾られていた原告蒲原所有の掛軸一幅及び花瓶一個が破損したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
二そこで、本件擁壁が崩落した原因及び本件擁壁の崩落と初芝荘の倒壊等との因果関係について検討する。
1 本件土地と東側の初芝荘との間には高低差があり、本件土地の東側傾斜面の初芝荘敷地と接する場所に三段の擁壁が築かれていたこと、右三段の擁壁のうち、上段は被告正則が築いたコンクリート製擁壁(以下「上段擁壁」という)、中段は昭和三〇年ころ東京都が築いたコンクリート製擁壁(以下「中段擁壁」という)、下段は高さ約四メートルの石積の擁壁(以下「下段擁壁」という)であることは当事者間に争いがない。
右争いのない事実に加え、〈証拠〉を総合すれば、次の各事実を認めることができる。
(一) 本件土地は楔形をした南北に細長い土地で、東側には北から順次樹下邸、初芝荘、松永邸、安蓮社墓地の各敷地が隣接しているところ、本件土地は周囲のいずれの土地よりも高くなつていたから、本件土地の所有者又は占有者としては、地崩れを防ぐために、擁壁等を構築してこれを維持管理する必要があつた。
(二) 本件土地は元国有地であつたが、被告正則は、昭和三九年、体育館建設用地としてその払下げを受け、同四〇年、熊谷組に請け負わせて体育館を建設したのであるが、その際、本件土地の造成工事をしたため、本件土地と東側土地との高低差は六メートル以上となり、とりわけ初芝荘敷地との高低差は8.565メートル位となつた。また、被告正則は、体育館建設にあたり本件土地の補強として、東側傾斜面の既設の中段擁壁の上部及び南側に新擁壁を築造し、本件土地から初芝荘側への地崩れの防止措置を講じた。
初芝荘敷地及び松永邸敷地と境界を接する本件土地の東側傾斜面上には、従前、地崩れを防止するため初芝荘敷地との境界18.448メートル及び松永邸敷地との境界17.928メートルの合計36.376メートルの長さにわたつて右敷地から高さ約四メートルの間知石積の下段擁壁が築造されており、更に、同擁壁上部の西側に北から約三一メートルの長さにわたつて高さ約3.3メートル、上部の厚さ約三〇センチメートル、底面の厚さ約一メートルの無筋コンクリート製の水抜孔のない重力式の中段擁壁が築造されていた(下段擁壁の上部と中段擁壁の下部との間は、約三メートルの法面をなしており、地表は雑草で覆われていた)ことから、被告正則は、同擁壁から約五〇センチメートル西側の位置に同擁壁と同じ長さ(約三一メートル)で、高さ1.45メートル、底面の厚さ1.1メートルの鉄筋コンクリート製の水抜孔のある逆T字型の上段擁壁を築造した。同擁壁は、中段擁壁よりも1.1メートル高くなつており、上段擁壁の上部は本件土地の地表と接していた。
また、安蓮社墓地と境界を接する東側傾斜面上には、同部分の高低差が6.1メートルであつたところ、本件土地からの地崩れを防止するため、境界の長さ二七メートルにわたつて高さ1.7メートルのコンクリート製重力式擁壁及びその上縁から2.5メートル西側に高さ1.6メートルの間知石積の擁壁が築造されていたことから、間知石積の擁壁から約二メートル西側に同擁壁上部から2.8メートルの高さになるようにして高さ3.4メートル、底面の厚さ2.5メートルの鉄筋コンクリート製の水抜孔のある逆T字型擁壁を築造し、南面にも長さ一二メートルにわたつて高さ3.4メートル、厚さ2.8メートルの右と同様の擁壁を築造した。そして、安蓮社墓地部分及び南面の新築擁壁については、同年七月九日、建築確認を受け、同年九月二九日、検査済証の交付を受けた。
(三) 本件土地上に建築された体育館は鉄骨鉄筋コンクリート造モルタル葺三階建でその建坪(一階の床面積)は858.14平方メートルであつたが、本件土地が南北に細長い地形であることや北側は小高い山になつていたことなどから、右体育館は、本件土地のうち初芝荘、松永邸、安蓮社墓地側の東西約二五メートル位、南北約六三メートル位を敷地とし、特に東西方向はほぼ同敷地いつぱいに建つており、東側傾斜面上の上段擁壁から体育館の東端までの距離は3.5ないし5メートルであつた。
体育館の建築にあたり、その外壁の真下には、四角形の一辺が約1.5メートル、高さ約二メートルのコンクリート製基礎約三〇個が埋設されたが、右基礎のうち体育館の東側外壁の下に埋設された九個は、上段擁壁に添つて一列に並び、そのうち四個は初芝荘及び松永邸の敷地側に、他は安蓮社墓地の敷地側に存在しており、更に、初芝荘の敷地側には、右の列より約五メートル西側に基礎二個が存在した。
また、体育館には排水施設が備わつており、体育館上に降つた雨はそれにより他に排出されていた。
(四) 昭和五一年に、被告正則は、本件土地を大林組に譲渡するため右体育館を解体し前記基礎を掘り出すなどしたので、雨は当然体育館跡地部分に降り注ぎ、地中に浸透することとなつたが、特に、このため排水施設は設けられなかつた。
なお、体育館の敷地部分については、地表から体育館の基礎底盤までの深さ約二メートルの間は、同年四〇年に基礎を埋める際、従来の地盤を掘つて新たに山砂系の埋土をしたので透水性のある地層になつていたところ、基礎掘出しにあたり、基礎の周囲を約八〇センチメートル掘り返し、右撤去後は本件土地の北側の山になつていたところから土を持つてきて埋戻しをしたため、右埋土の部分は一層軟弱な透水性の高い地層となつた。そのうえ、右埋土をした地層の下、すなわち、地表下約二メートルから約五メートル位までの間は水を透過しやすい関東ローム層であり、その下は水を透過しにくい渋谷粘土層となつており、中段擁壁は右関東ローム層に基礎を置いていた。
(五) 体育館跡地が更地となつた昭和五一年五月一四日から本件事故が起きた日の前日の同月二四日までの間に、降雨があつたのは六日間でその合計降水量は101.5ミリメートルであつた。とりわけ、同月二一、二二、二三日は連日降雨があり、二四日も夜半から雨が降り始め、二五日未明には大雨となり、本件事故が起きた午前九時ころまでの降水量は四一ミリメートルであつた。
(六) 本件土地の東側傾斜面に築造されていた擁壁のうち崩落又は崩壊を起こした部分は、初芝荘敷地及び松永邸敷地と境界を接する無筋コンクリート製の中段擁壁部分であり、中段擁壁は、まん中あたりの箇所と松永邸側の端から四分の一位の二箇所において縦に割れたうえ、従前と同一の傾斜角度を保つたまま、上段擁壁と共に、ななめ下に崩れ落ちており、間知石積の下段擁壁もまた両側を一部ずつ残したまま崩れていた。
(七) 初芝荘敷地及び松永邸敷地のうち土砂が最もなだれこんだ場所は、崩落した本件擁壁のまん中あたりに面した敷地、すなわち、初芝荘の倒壊した部分が建つていた場所であり、土砂の高さは右建物の一階の屋根まで達し、同建物を東側に約一メートルほど押し出すようにして倒していた。堆積した土砂の上部には、中段擁壁と下段擁壁の間の法面を覆つていた雑草がそのまま載つていた。
(八) 本件事故直後の本件土地上には、体育館跡地及びその周辺にわたり一面にブルドーザーの轍の跡が残つており、広い範囲にわたつて三ないし五センチメートルの深さで冠水していた。
(九) 樹下邸敷地から本件土地の地下に観音像を祀つた観音参道が掘られていたが、右参道は、本件事故時において、何らの変化もなかつた。
以上の事実が認められる。
2 右認定事実に加え、前掲鑑定の結果によれば、体育館の解体及びその基礎の撤去、埋戻しにより、体育館跡地は極めて軟弱な透水性の高い地層となつていたことから、同跡地を含む本件土地上に降つた雨が、右埋土部分及びその下の関東ローム層まではたやすく浸透し、その下の渋谷粘土層には浸透しなかつたため、関東ローム層の部分の土壌が軟弱化し、渋谷粘土層に接着した部分が初芝荘側に滑り現象を起こし、その極めて強い圧力によつて、中段擁壁が、縦に割れると同時に、同擁壁は関東ローム層に基礎を置いていたので、その自重のため、上段擁壁と共に、足元をすくわれるような形で、土砂もろとも崩落したものであること、右擁壁崩落等によつて、下段擁壁によつて押えられていた土砂も崩れ、これが同擁壁を構成していた間知石と共に押し出され、初芝荘の一部を倒壊し、かつ、その中にあつた掛軸等を破損したものであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、本件土地のうち、特に体育館跡地は地表が埋土などのために極めて軟弱であり、しかも、その下が透水性のある関東ローム層であつたため、降雨によつて、埋土層及び関東ローム層が一層軟弱化して地滑り現象を起こして本件擁壁が崩落し、その結果、初芝荘の倒壊等の損害が発生したものということができる。
3 被告らは、本件擁壁の崩落は本件土地の地下の下段擁壁の背後に掘られていた二本の地下壕に起因する旨主張するので、検討する。
(一) 〈証拠〉によれば、本件土地の地下には、初芝荘敷地の北端から南方へ約五メートルの位置と松永邸敷地の南端から北方へ約五メートルの位置とから二本の地下壕が掘られており、その入口は下段擁壁で塞がれていたことが認められる。
しかしながら、本件土地の地層は前記認定のとおり地表から埋土、関東ローム層、渋谷粘土層の順で構成されていたところ、〈証拠〉を総合すれば、松永邸敷地側に入口のある地下壕は渋谷粘土層に掘られており、初芝荘敷地側に入口のある地下壕は関東ローム層にもまたがつて掘られていたが天井にはコンクリートが打たれており、また、本件事故後本件土地のうちの東側部分に山留めのH鋼を打ち込んだ際にも右初芝荘敷地側に入口のある地下壕部分にはH鋼を打ち込めなかつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そうすると、右二本の地下壕に下段擁壁を崩壊させるほどの雨水の貯留が生じたものとは認めることができない。
更に、〈証拠〉によれば、初芝荘敷地側に入口のある地下壕は観音像参道の枝分かれした地下壕とつながつていたが、途中で木の柵によつて区切られていたこと、同木の柵は本件事故後も現存し、水の噴出した跡は見られないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そうすると、初芝荘側において雨水が地下壕一杯に貯留し、これが下段擁壁を突き破つて噴出したものと認めることはできない。
なお、下段擁壁が初芝荘側も松永邸側も間知石積の擁壁であつたことは前記認定のとおりであるところ、〈証拠〉によれば、間知石にコンクリートの裏打ちがされていなかつたことが認められるが、〈証拠〉によれば、間知石積の擁壁には栗石、砂利等で裏込めはするがコンクリートの裏打ちはしないのが通常であることが認められるから、コンクリートの裏打ちがなかつたことをもつて直ちに下段擁壁が脆弱であつたものということはできない。
(二) 更に、土砂が最もなだれこんだ場所は倒壊した初芝荘部分が建つていた場所であることは前記認定のとおりであるところ、〈証拠〉及び検証の結果によれば、初芝荘敷地側に入口のある地下壕に面している建物部分はほとんど損壊していないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
そうすると、この点からも地下壕の入口から雨水や土砂が噴出し、あるいは、地下壕の入口部分の下段擁壁からまず崩れたものとは認めることができない。仮に二本の地下壕の入口部分の下段擁壁が同所から噴出した雨水等によつて崩れたとしても、右二本の地下壕の間にある長さ約二六メートルの下段擁壁及びそれに押えられている土壌までが何故に崩れ、前に押し出されるのかは全く不明であるのみならず、もし、下段擁壁及びそれに押えられている土壤が本件擁壁の崩落する前に崩れたとすれば、前記認定のとおり初芝荘敷地に堆積した土砂の上に中段擁壁と下段擁壁の間の法面を覆つていた雑草がそのまま載つていたことや本件擁壁が単に下に落ちているのではなく、前(東方)にも動いていることの説明がつかないことになる。
(三) 以上によれば、被告らの本件擁壁の崩落が地下壕に起因する旨の主張は、到底採用することができない。
三被告大和の責任について検討する。
1 被告大和が、被告正則から、体育館の解体及び地ならし工事(本件工事)を請け負い、同工事を終了したうえ、昭和五一年五月一四日、被告正則に対し、本件土地を更地の状態で引き渡したことは原告と被告大和との間において争いがなく、〈証拠〉によれば、被告正則と大林組との間において、昭和四九年一二月二五日、被告正則は、大林組に対し、本件土地の所有権を譲渡し、同五一年五月三〇日限り、本件土地上に存在する体育館及び一切の構築物(地下基礎部分を含む)を収去して同土地を更地として明け渡すことなどを内容とする和解契約が締結されたこと、被告正則と被告大和との間において、同五〇年九月二五日、被告大和が、本件土地上の体育館の解体工事のほか、本件土地と隣接する被告正則の校舎が存する土地との間に擁壁を築造する外構工事及び右校舎の台形増築工事を請け負い、これに同日着手し、同五一年四月三〇日までに完成させることなどを内容とする請負契約が締結されたこと、被告大和は、右和解契約の内容を承知しながら、本件工事等を請け負つたのであるが、右請負契約においては、請負人被告大和は発注者被告正則の委託を受けた監理技師訴外株式会社竹ノ内建築設計事務所と協議をするなどして瑕疵のない工事をする義務があつたこと、本件工事等に瑕疵のある場合には、被告大和は少なくとも引渡しの日から二年(但し、故意又は重大な過失があるときは一〇年)間は瑕疵修補又は損害賠償の責任を争うこととされていたこと、被告大和は、同年三月末に本件工事に着手し、同年五月一四日に同工事を終了したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
以上の事実によれば、請負人である被告大和としては、本件工事の施工につき、前記認定程度の降雨も当然予想し、監理技師とも十分協議して本件工事を施工し、本件土地を単に更地とするのみではなく、引渡し後に多少の降雨があつても地崩れなどが生じないような状態においてこれを被告正則に対して引き渡す義務があつたことは明らかであるというべきである。
2 被告大和は、被告正則に対し、昭和五一年五月一四日、本件土地を更地の状態で引き渡したのであるが、同月二五日、本件擁壁と共に本件土地の一部が崩落したことは前記のとおりであるところ、降雨によるものとはいえ、前記認定程度の降雨ではこれをもつて不可抗力などとは認められないので、被告大和の本件工事の仕方に問題があり、被告大和は、本件土地につき降雨に対する十分な措置を考慮することなく、単に上辺だけ更地の状態にしてこれを被告正則に対し引き渡したのではないかとの疑問が生ずる。そこで、被告大和の担当者の本件工事の施工につき、過失がなかつたかについて検討する。
(一) 本件土地及び本件工事に関しては、被告大和の本件工事の担当者(工事部長及び現場主任ら)が、本件土地の東側傾斜面の初芝荘敷地と接する場所に築造されていた上段擁壁は被告正則が築いたコンクリート製擁壁、中段擁壁は昭和三〇年ころ築かれたコンクリート製擁壁、下段擁壁は高さ約四メートルの石積の擁壁であり、本件工事の内容はコンクリート製基礎の掘出し、埋戻しを含む体育館全体の除去及び同跡地の整地であつたところ、右コンクリート製基礎が初芝荘敷地との境界線側に一列に九個存在したことを知つていたことは原告と被告大和との間において争いがなく、〈証拠〉を総合すれば、本件工事の担当者は、本件工事着手前に体育館の設計図を調査し、本件土地の東側傾斜面にある擁壁を視察し、観音参道を調査するなどしたこと、そして、右工事にあたり、同人らは、本件土地は周囲のいずれの土地よりも高く、東側は北から順次樹下邸、初芝荘、松永邸、安蓮社墓地の各敷地と隣接し、本件土地と初芝荘敷地との高低差は約8.6メートルあること、被告正則が、昭和四〇年、熊谷組に請け負わせて体育館を建設したのであるが、その際、本件土地を造成すると共に上段擁壁を築造したこと、既設の中段擁壁は高さ約3.3メートルの無筋コンクリート製の水抜孔のない重力式擁壁であつたこと、本件土地上の体育館は鉄骨鉄筋コンクリート造モルタル葺三階建でその建坪は851.14平方メートルであつたが、本件土地のうち初芝荘、松永邸、安蓮社墓地側の東西約二五メートル位、南北約六三メートル位を敷地とし、特に東西方向はほぼ同敷地いつぱいに建つており、東側傾斜面上の上段擁壁から体育館の東端までの距離は3.5ないし5メートルという至近距離であつたこと、体育館建設のためのコンクリート製基礎は体育館の外壁の真下に約三〇個埋設されていたが、その大きさは四角形の底面の一辺が約1.5メートル、高さが約二メートルで、体育館解体に際し右基礎を掘り出すためにはその周囲を約八〇センチメートル余分に掘り、撤去後は本件土地の北側の山になつていたところから土を持つてきて埋戻しをすること、体育館には排水施設が備わつており体育館上に降つた雨はそれにより他に排出されていたが、体育館解体後は、雨は当然体育館跡地部分にも降り注ぎ、地中に浸透することになること、前記の体育館の敷地は、地表から体育館の基礎底盤までの深さ約二メートルの間は埋土層であり、同部分は体育館の建築時と今回の基礎掘出しとで二回手を入れられたことになるので極めて軟弱な層であること、樹下邸から本件土地の下に掘られた観音参道は堅い地盤に掘られていたことなどは知つていたのであるが、体育館の基礎としては前記コンクリート製基礎しか埋設されていなかつたので、右埋土層の下の地層は透水性のない堅固な地盤であると考え、右上質についての調査をすることなく本件工事をしたこと、なお、本件工事の担当者は、中段擁壁には水抜孔がなく、この場合には、擁壁崩落の原因となりうることはわかつていたが、付近住民から同擁壁は東京都が施工した旨の話を聞いただけで、同擁壁に安全性があるものと即断したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
以上の事実によれば、本件土地は高所に位置し、同土地からの地崩れを妨ぐために本件擁壁等の擁壁が設置されており、本件土地上に体育館が建築されていたときには、同所に降つた雨は体育館の排水施設によつて他に排水され、同敷地への浸透ということはなかつたのであるが、体育館が撤去された場合には雨水は当然に同跡地に浸透するという問題も生ずるのであり、しかも、右体育館の撤去及び基礎の掘出し工事は、かなり広範囲にわたり、しかも本件擁壁に極めて接近した箇所においても行われるのであるから、被告大和の工事担当者としては、右体育館の撤去及び基礎の掘出しにより、同跡地を更地の状態にした場合には、地形上その他に特段の事情がない限り、降雨時には同跡地に雨水が浸透すること及び中段擁壁には水抜孔がなく、しかも、同跡地の地表から二メートル位までの地層が埋土層であつて透水性のあることを知つていたということだけからでも、降雨時には中段擁壁の耐力に問題のあることは認識しえたはずであり、そのうえ、その下の地層のいかんによつては降雨時に地滑り現象による本件擁壁の崩落の危険(傾斜面の宅地造成地等において降雨時にしばしば地崩れ現象が発生していることは顕著な事実である)、更には、万一の場合には、これによる人身事故の虞さえもあつたのであり、専門業者としては、かかる危険をも容易に予測しえたはずである。
従つて、右工事担当者としては、右地層の土壤についても十分な調査をするなどし、右危険の防止に十分な配慮をする義務があつたものというべきである。
そして、右埋土層の下部の地層は地表下二メートル位から五メートル位までの間は透水性のある関東ローム層であることは前記認定のとおりであるところ、被告大和の本件工事担当者において、これを透水性のない地層であると即断し、右土質についての調査をすることなく、漫然と本件工事を施工したことは前記認定のとおりであるから、専門業者としては軽卒であり、右義務を尽くさなかつたものといわざるをえない。
(二) 〈証拠〉によれば、本件土地の西側は、その南半分位は被告正則の校舎の敷地と、また、北半分位は公道と接しており、公道は南寄りの本件土地への入口のところで本件土地と約六〇センチメートルの高低差があり、北に向かつて下り坂になつていたので本件土地との高低差は広がつていつたが、本件土地と公道との境界には、右入口のところには階段があり、その他のところにはコンクリートで段がつけられていたうえ、本件土地の北側は小高い山であつたから、本件土地のうち体育館敷地部分については、東西方向、南北方向共に高低差はなく、平坦であり、体育館解体後も解体前と同じ高さに均してあつたから、雨水が特に一定方向に排出されることはなかつたことが認められ、〈反証排斥略〉。そうすると、本件土地のうち体育館敷地には高低差がなかつたといわざるをえない。
なお、被告大和は、本件土地の埋戻し後の整地については突固めを十分行い、かつ、西側の公道側へ水勾配をとつたから排水措置としては十分であつた旨主張するが、〈証拠〉によれば、コンクリート製基礎撤去後の埋戻しにあたつては、北側の小高い山から持つてきた土を五、六十センチメートルずつ盛土をしてはユンボーの頭で突き固めるということを三、四回繰り返して埋戻しを行い、その後ブルドーザーの自重で全体を均したこと、道路、校庭等を整地後舗装する場合は、ローラーやランマーで地盤の締固めをよく行うが、本件土地についてはローラーやランマーは使つていないこと、従つて、本件土地については整地転圧したというよりは単に整地したにすぎないことが認められ、本件事故直後の体育館敷地部分に広く冠水している状態が見られたことは前記認定のとおりである。そうすると、埋戻し後の整地が他に排水措置を不要とするほど十分突固めがなされていたということはできず、また、本件土地のうち北側は小高い山でありそれ以外の体育館の敷地については東西方向、南北方向共に高低差がなく平坦であつたことは前記認定のとおりであるから、西側の公道側へ他の排水措置を不要とするほど十分な水勾配をとることができたとはいえない。従つて、被告大和の右主張は採用することができない。
(三) 被告大和は、本件土地は、被告正則が大林組に対して更地の状態で引き渡すことになつており、大林組はこの上に建物を建て、排水施設も設置する予定であり、被告大和としては、被告正則から排水施設の設置を発注されていなかつたから、本件土地を更地の状態で引き渡せば足り、排水施設を設置する義務まではなかつた旨主張するので、判断する。
本件土地の周囲が平坦な土地であつて、地崩れなどの虞がない場合には、右主張も一応首肯しうるが、本件土地は高所にあり、しかも、その地層も軟弱または透水性があるため、これを上辺だけ更地の状態にしておいた場合には、降雨時には、地崩れなどの極めて危険な状態の発生が予測されえたことは前記認定のとおりであるから、本件土地に排水設備を設置することが契約の内容となつておらず、また、大林組が本件土地に建物を建築する予定になつていたからといつて、これを上辺だけ更地の状態にして引き渡せば足りるというものではなく、少なくとも、被告大和の本件工事担当者としては、本件工事着手に先立ち又は遅くとも体育館のコンクリート製基礎の掘出しに着手する前に、本件工事の発注者である被告正則の監理技師と本件工事に伴つて発生する可能性のある危険、特に降雨時等における危険の防止について十分協議をすべき義務があつたものというべきである。右義務は、本件擁壁の崩落が人が生活している住居の傍で起き、万一の場合は人身事故となる虞もあつたことを考えれば、請負人として、近隣に対する危害の防止上必要な義務といわざるをえない。
しかるに、被告大和の工事担当者において、被告正則の監理技師と右危険の防止について協議した事実を認めるに足りる証拠はない。
そうすると、被告大和の工事担当者は、本件工事に伴う危険についてはこれを看過し、単に本件土地を更地の状態で引き渡せば足りるとの安易な考えで本件工事を施工し、その結果、本件事故が発生したものといわざるをえない。
従つて、被告大和の右主張は採用することができない。
(四) 更に、被告大和は、本件事故までに本件土地に排水施設を設置することは不可能であつた旨主張するが、本件工事は、他の工事をも含め、工期は、本来、昭和五〇年九月二五日から同五一年四月三〇日までであつたことは前記認定のとおりであるところ、右期間内に右施工が不可能であつたものと認めるに足りる何らの証拠もなく、右主張は採用することができない。
3 以上によれば、被告大和は被告正則に対し請負契約の履行として本件土地を更地の状態にして引き渡したのであるが、本件土地は、降雨時には地崩れ等の危険の蓋然性の極めて高い状態にあつたことから、右引渡し後たかだか一一日目にして本件事故が発生したものということができ、かつ、同事故は、被告大和の本件工事の担当者(工事部長及び現場主任ら)が、体育館解体後の本件土地に雨水が浸透し、本件擁壁が崩落する危険があることを予見しえたにもかかわらず、これを看過し、右危険を防止するための十分な措置を講ずることなく、安易に本件工事を施工したことによつて生じたものといわざるをえない。
従つて、被告大和は、本件工事の工事部長及び現場主任らの使用者として、民法七一五条一項に基づき、原告らが本件事故により被つた損害を賠償すべき義務がある。
四被告正則の責任について検討する。
1 本件擁壁が本件土地の工作物にあたることは明らかであり、更に、本件土地には体育館のコンクリート製基礎を掘り出し、そのあとを他から土を持つてきて埋め戻すなどという人工的作業が施されたことは前記認定のとおりであるから、本件擁壁及び本件土地は、一体として、民法七一七条一項にいう「土地ノ工作物」に該当するものということができる。
2 本件土地は周囲のいずれの土地よりも高くなつており、とりわけ東側の初芝荘敷地との間には8.5メートルの高低差があつたこと、本件土地は北側の部分は小高い山になつており、それ以外の初芝荘、松永邸、安蓮社墓地側の東西約二五メートル位、南北約六三メートル位の範囲には東西方向いつぱいに体育館が建つており、体育館上に降つた雨は体育館の排水施設によつて他へ排出されていたが、体育館の解体により雨水は本件土地に直接降り注ぐこととなつたこと、右の体育館の敷地については、東西方向、南北方向共に高低差のない平坦な土地であつたから、同所に降つた雨が特にいずれかの方向へ流れるということはなかつたこと、体育館の下には四角形の底面の一辺が約1.5メートル、高さが約二メートルの大きさのコンクリート製基礎が埋設されており、右の体育館の敷地は、地表から右コンクリート製基礎底盤までの深さ約二メートルの間は、基礎を埋める際従来の地盤を掘り山砂系の埋土を入れたので透水性のある層を構成していたところ、本件工事によりこれらの基礎が掘り出され、そのあとには北側の小高い山から持つてきた土で埋戻しがなされたため、ブルドーザーによる整地はなされたが従前より軟弱な土地となり、雨水の地中への透過性が高まつたこと、右埋土層の下の地表下約二メートルから約五メートルまでの間は水を透過しやすい関東ローム層で構成され、それより下は水を透過しにくい渋谷粘土層で構成されていたこと、本件土地の東側傾斜面の初芝荘敷地及び松永邸敷地と境界を接する場所に間知石積の下段擁壁と共に築造されていた本件擁壁のうち、上段擁壁は被告正則が体育館を建設する際に本件土地を補強するために築造したものであり、中段擁壁は長さ約三一メートル、高さ約3.3メートルの無筋コンクリート製の水抜孔のない重力式擁壁であつたこと及び水抜孔がないことは擁壁崩落の原因となることは前記認定のとおりである。
右各事実によれば、本件擁壁及び本件土地について、体育館解体後は、降雨の際本件土地に雨水が浸透して本件擁壁が崩落する危険があつたものと認められるから、雨水の浸透を防ぎ本件擁壁の崩落を防止するに足りる措置がとられる必要があつたというべきである。
しかるに、本件土地につき右防止措置がとられていなかつたことは前記認定のとおりである。
従つて、本件擁壁及び本件土地の設置、保存には瑕疵があり、この瑕疵により、第二項2で認定したとおり本件事故が生じたものといわざるをえない。
3 本件事故発生当時、被告正則が、本件擁壁及び本件土地を占有していたことは原告と被告正則との間において争いがない。
なお、右当時、大林組が本件擁壁及び本件土地を所有していたことは原告と被告正則との間において争いがないところ、仮に、被告正則において、本件事故の発生を防止するに必要な注意をなした事実が認められる場合には、所有者である大林組が、所有者としての工作物責任に基づく損害賠償債務を負うことは明らかであるところ、〈証拠〉を総合すれば、被告正則は、大林組との間において、昭和五一年八月三一日、所有者としての工作物責任に基づいて大林組が原告らに対して負担する損害賠償債務を免責的に引き受ける旨の契約を締結し、原告らは、同日、右免責的債務引受に同意したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
そうすると、被告正則は、本件擁壁及び本件土地の占有者として、又は、同所有者の責任の債務引受人として、民法七一七条一項に基づき、原告らが本件事故により被つた損害を賠償すべき義務があるものといわざるをえない。
五原告らの損害について
1 原告竹中
(一) 〈証拠〉によれば、本件事故により倒壊した初芝荘の一部は、木造平家床面積62.4平方メートルであり、同部分は本件事故により全壊し修理不能であることが認められる。
そこで、右倒壊部分の本件事故時の交換価格について検討するに、〈証拠〉を総合すれば、右倒壊部分は昭和二九年ころ料亭として建築されたものであるが、建物の様式は切妻木造平家数寄屋造であり、屋根は日本瓦葺、庇は銅板一文字葺、構造材はほぼ桧、柱は桧又は柾、天井板は神代杉、床柱は天然絞りの杉丸太というような高価な材料を使つていたこと、本件事故後、右倒壊部分を復旧するとしても、倒壊部分に用いられていた材料は全く使用することができず、同質の材料は高価過ぎるなどのため、木材について新建材等を使つて、同五一年九月二五日の時点における直接仮設工事、基礎工事、木工事、屋根工事、金物工事、左官工事、建具工事、硝子工事、塗装工事、内装工事及び雑工事の各工事費を合計した倒壊部分復旧建築工事費は一六三九万四四〇〇円であり、このほか倒壊部分復旧設備工事費が合計二四七万円であること、但し、右復旧設備工事費のうち一五〇万円は暖冷房換気設備工事費であること、更に、建築工事をするためには直接仮設工事費のほかの作業所経費、保険料等も必要であることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右事実によれば、初芝荘の倒壊部分の交換価格は、倒壊部分復旧建築工事費に、倒壊部分復旧設備工事費のうち本件全証拠によるも倒壊部分に備わつていたことが明らかでない暖冷房換気設備の工事費を控除した残額を加えた一七三六万四四〇〇円を下ることはないものということができる。なお、倒壊部分の交換価格は四〇〇〇万円以上である旨の証人小原沢誠の証言部分は、客観的な裏付けに乏しくにわかに措信することができず、他に倒壊部分の交換価格が前記認定の価格を上回ることを認めるに足りる証拠はない。
また、〈証拠〉を総合すれば、本件事故により、初芝荘の残存部分のうち本件擁壁に面していた部分が破損し、庭園が破損したこと、右残存部分の破損補修工事には、昭和五一年九月二五日時点において、二七八万一〇〇〇円を要し、また、庭園復旧工事には、同時点において、六一万円を要するものであつたこと、右庭園復旧工事費には新設擁壁目隠し用植栽費二〇万円が含まれていること、原告竹中は、被告正則から、同年八月一〇日、残存部分の壁及び屋根の仮復元費七二万円を含む初芝荘一部家屋解体及び修理工事費二二一万七〇〇〇円(但し、二二一万七〇〇〇円から七二万円を控除した分は、解体費用等であつて、倒壊部分の復旧建築工事費、残存部分の破損補修工事費用に充当されるべきものではない)、同年一〇月一日、四三本の樹木を含む初芝荘植木伐採及び植付工事費二三万八〇〇〇円の各支払を受けたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右によれば、本件訴訟で請求しうる初芝荘の倒壊部分の復旧建築及び同設備工事費は一七三六万四四〇〇円が、同残存部分の破損補修費は二〇六万一〇〇〇円(二七八万一〇〇〇円から七二万円を控除した金額)が、庭園復旧費は一七万二〇〇〇円(六一万円から二〇万円と二三万八〇〇〇円の和を控除した金額)が相当である。
(二) 〈証拠〉によれば、初芝荘の倒壊部分内に原告竹中主張のとおりの品名及び数量の備品が存在し、これが本件事故により使用不能となつたことは認められるが、全損の場合、当該物件の本件事故時における交換価格をもつて損害額と解すべきであるところ、本件全証拠によるも右交換価格を認定することはできないから、右備品についての損害の額については立証がないことに帰する。
(三) 本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告竹中が被告らに対して賠償を求めうる弁護士費用の額は二〇〇万円が相当である。
2 原告蒲原
(一) 原告蒲原所有の掛軸一幅及び花瓶一個が本件事故により破損したことは前記認定のとおりであるところ、まず、右掛軸についてみるに、〈証拠〉によれば、右掛軸は土砂等の中に滅失してしまつたこと、同掛軸には諸永青晁作の緋鯉の画が表装されていたところ、諸永が原告蒲原の遠縁にあたつたことから、原告蒲原が、昭和四一年ころ、五〇万円で描いてもらつたことが認められるから、被告らに対し請求しうる損害額としては、五〇万円とするのが相当である。
次に、右花瓶についてみるに、〈証拠〉を総合すれば、右花瓶は、約三五〇年ほど前に焼かれたと思われる古伊賀焼であること、原告蒲原はこれを根津美術館や畠山美術館で開かれた茶会に貸し出したことがあるが、平生は、これを原告竹中の厚生施設として歓送迎会の会場等として使用されている初芝荘の大広間の床の間に飾っていたこと、本件事故以前の右花瓶の評価額については、各人各様であり、右花瓶の如き古美術品については取引実例はほとんど見受けられないこと、原告蒲原自身は、本件事故後土砂の排水作業中に訪れた被告大和の従業員に対し「あれは高いもので、もう五〇〇万以上するよ」と話していること、右花瓶は、本件事故により首の部分が破損し、破片がすべて揃つているわけではないが、原形に復することは可能であること、復元後の花瓶の取引価格は破損前の取引価格からはかなり減額されるけれども、復元された花瓶もまた美術品としての価値を有することが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定事実に併せて証人狩野俊一の証言を斟酌すると、右花瓶の損害額としては、一〇〇〇万円とするのが相当である。
(二) 本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告蒲原が被告らに対して賠償を求めうる弁護士費用の額は一〇〇万円が相当である。
六結論
以上のとおりであつて、原告らの本件各請求は、その余の点については判断するまでもなく、原告竹中につき損害賠償金二一五九万七四〇〇円及び弁護士費用相当分を除く一九五九万七四〇〇円に対する本件事故が発生した日である昭和五一年五月二五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において、また、原告蒲原につき損害賠償金一一五〇万円及び弁護士費用相当分を除く一〇五〇万円に対する同日から支払ずみまで右同様の遅延損害金の支払を求める限度において、いずれも理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条本文、九三条一項を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用し、主文のとおり判決する。
(古館清吾 山﨑宏 江口とし子)
目録〈省略〉